An Additinal Budget




これは彼が張りめぐらした周到な罠。

でも、わかっていても縋ってしまう。

安堵など出来ようはずのない腕の中の温もりを本能で求めた。



恐怖に竦んで、謀ったように現れた迅に皐月は思わず駆け寄って縋り付いた。

抱きとめ、包むように回される両腕。
ビクともしないような、意外にたくましい胸に抱え込まれる。
壊れ物を扱うように優しく背中を撫でてくる動きが、心地よかった。


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ふと皐月はわずかに体に響いてくる振動で目を覚ました。
見慣れない天井。
あと、なんだか人の気配が・・・。

「あ、目が覚めた?気分はどう?」

にゅっと視界に映っていた天井の変わりに、迅の顔が至近距離で覗き込んで来た。

いつもなら身が竦むほど驚くのに、寝起きのためか、思考がうまく働かない。
そんな自分を奇妙に自覚しながら、皐月はか細く呟いた。

「ここ、どこ。私、どうして・・・」

「男に囲まれて、助けに行ったらそのまま気絶したんですよ。」

男に囲まれて・・・・皐月は言われた言葉を脳内に反芻する。
そうだ、買い物をしていたら、他校の男子に声をかけられて・・・・振り切ろうとしても、しつこくて。
色々触られて、挙句の果てに自分は、あまりにタイミングよく現れた彼に縋ったのだ。
自惚れるわけではないが、きっと絡まれたのは彼の計画のうちだったのだろう。

でも腑に落ちないのは自分の行動だった。
どうして彼に・・・自分は。
彼もまた、同じ男であるというのに。

いくら彼でも自分の心まで、計画は出来ないのに。



「ちなみコレはうちの車です。控えさせておいていたので。」

皐月の疑問を先回りするかのように、迅が答える。

“うちの車”・・・・うわさになってる名家の嫡子というのは本当だったのか。
光陵高校には、確かに普通レベル以上の家柄の出のものが多くいるが、広い車内に寡黙で優秀そうな運転手、そして何よりそれにスンナリと溶け込んでいる彼の姿に、なんとなく皐月は彼が他の家柄とは格の違う存在なのでは、とぼやけた頭で考えた。

「大丈夫ですか?・・・まあ俺的には大丈夫でなくてもかまいませんが。」

「・・・え?」

ボソリ、と目線の上で囁かれた言葉。
そして胡散臭いほどの爽やかな笑み。

そういえば何故、彼の顔がこんなすぐ近くに?
その背景にある車の天井があるのは自分が横になっているからわかるが・・・。
それになんだか、頭の下にシートとは違う感触が・・・。

「!」

それが意味することに唐突に気が付いて、皐月はガバっと身を起こそうとする。
これでは膝枕だ。
が、迅に肩と額を軽く押さえられて止められる。

「ハイハイ、急に起きちゃダメですよ。」

まるで駄々っ子に言い聞かせるように言われる。
なんのまねを・・・!

ぼんやりとしていた意識が、怒りと共に徐々に鮮明に澄んでくる。
それに連れて、極軽く押さえられている肩と額の手を強く意識してしまって、硬直する。
上から覗き込まれている状態も、視界に迅を入れて確認する度に・・・・・恐ろしい。

怒りが湧くと同時に、恐ろしいのだ。

「ああ、怖いですか。」

迅は、脱力していた皐月の体が徐々に強張ってくるのを見て取って、徐に呟いた。
額に置いた手を動かして、サラサラと流れる茶色がかった前髪を優しく梳く。

「・・・・っ」

恐怖ゆえか、虚勢を張ることもしないで、皐月の目にナミダが溜まる。
声を漏らさないよう、両手で口を押さえているのが、精一杯の意地、といったところだろうか。
しかし、それとは裏腹にどんどんナミダは皐月の目じりに盛り上がって、やがて滑り落ち、皐月の顔の下にある迅の衣服に染み込んだ。

「ねえ、皐月。彼らは怖かったですか?」

既に一筋ではなくなっている、皐月の両目から流れる涙を優しく親指で拭いながら、迅は問いかけた。
ビクリ、と己の支配下にある小さな体が大きく揺れる。
スーパーでの彼らの所業を、改めて思い出したのだろう。
言葉は発せられないものの、彼女のナミダに潤んだ瞳からはさらに強い恐怖が浮かび、迅に彼女の回答を告げていた。

「では、何故俺に?」
助けを求めるように縋りついたのか?

「俺は、彼らよりも安全とでも?」

クスクスと邪悪に笑って、皐月を見下ろす。
皐月はナミダを拭う迅の仕草と、その雰囲気が相容れないことに、混乱した。

安全だなどと、誰が思うだろうか。
彼は皐月には読めない。
その行動とか、何を狙っての思考があるのか、全く意図できないのだ。
その上、自分を見てくる瞳は強い。
絡め取られそうなほどに。

しかし、皐月にはこれだけはわかる。
彼は何であれ、自分に害をなすものだ、ということは。





「答えないのですか?なら、好きにしますが。」

嗚咽を抑えるために当てられた、迅にとってはあまりに小さい彼女の両手を外しにかかる。
彼女よりも大きな両手に、自分の両手首をつかまれて皐月は一瞬の硬直の後、狂ったように暴れだした。
その瞳にはさらなる恐怖が刻まれていて、迅は自分の暗いところにある衝動を宥められる気がした。

恐怖による独占欲が、彼女を占めているものが自分であることに。


我ながら、歪んでいるとは思う。
しかも、彼女にはあまりに酷だとも思うのだが。

「おとなしくして・・・・。」

己の眼下にある少女。
掴んだ手首を己の膝に押さえつけて、迅は状態を屈めた。
不意に掛けられた圧力に、皐月の行動が一瞬止まったのを見計らって、迅は覆いかぶさるようにして皐月と唇を重ねた。

血の気が引いた、彼女の唇は冷たかった。
















「迅さま・・・・・」

前方の運転席から、バックミラー越しに咎めるような声。
これまで黙って車内での様子を見ていたが、さすがに少女が口付けと共に気絶したのを見て、主に向かって声をかける。
自分の主人は、とことん愛情表現が屈折している。

「新見(にいみ)、かまうな。」

自分の幼い頃からの側近に、そっけなくそう言って、再び気を失った皐月を、迅はやや切なげに見つめる。
前方から聞こえる溜息をやり過ごして、ナミダで少し湿った頬から乾いた唇へ、指をすべらせる。

「皐月・・・」

閉じられたままの瞳。

「他の男と同じ位置になど、させませんよ。」

ただただ、恐怖する「男」の中のひと括りになど、されてはたまらない。


彼女は目覚めない。




深い恐怖を君に。
それ以上に深い想いを君に。

彼女は気付いてくれるだろうか。
与える恐怖以上に、求める恋情があることに。




・・・・・別枠なのは、誰よりも君を想う、心だと。



迅はひとり、微笑んだ。


end